芝居好きな珍獣シロクマの、主に観劇記などをUPした日記です
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のこされ劇場『オズの魔法が使えない』 観劇記
6日(土)の夜、北九州市は枝光にある「枝光アイアンシアター」なる劇場へ。
観たのは、その劇場を本拠地とする劇団、「のこされ劇場≡」の『オズの魔法が使えない』
題名からも分かるように、映画やミュージカルにもなった名作『オズの魔法使い』をモチーフにした作品だった。
劇場に着くや否や、芝居が始まる場所として案内されたのはなんとすぐ近くの商店街のど真ん中!
通りを挟んだアーケードの下に3ヵ所の鑑賞スペースが設けられ、その前で芝居の登場人物達が自己紹介などを含んだパフォーマンスを繰り広げた。
3ヵ所が同時進行するので、役者達はA→B→Cとか、B→A→Cのようにそれぞれが場所を移動しつつ演技。
派手で可愛らしい着物を着た老女ドロシーとか、これまた派手な着物に身を包んでやたらとテンションの高い魔女とか、登場人物達は基本的に和服または和服をベースにした衣装だった。
時折、劇中劇?のように役者個人の愚痴のようなものを吐露したり、アドリブなのか計算なのか不明なバタバタした感じも相まって、滑稽でキュートで面白い構成だった。
鑑賞する場所によってはパフォーマンスの時系列や雰囲気が変化するので、別の場所でも観たくなった。
30分かそこらの商店街でのパフォーマンスが終わると、ようやく劇場へと戻って芝居の後半部分へ。
まだ来月に直方公演が控えているのでネタバレは避けるが、オリジナルとは似ても似つかないシュールというかブラックというか・・・な展開に、当初は観客もちょっと引いた感じがした。
しかし、段々とその背景には劇場のある北九州市、特に枝光地区が抱えてきた、抱えている問題やそこに住む人々の思い・・・などが浮かび上がってきて、目が離せなくなった。
もしこれから直方公演を観に行こうと思っている人や、或いは今後この作品が再演された場合に観る人は、一応の予備知識として「八幡製鐵所」「枝光」というキーワードでこの120年ほどの歴史を知っておいた方が、よりこの作品を楽しめることになると思う。
劇中で映し出される「1901」という数字は、地元の人ならばすぐに分かると思うが八幡製鐵所が「官営」として操業を開始した年号だ。
今、地方経済は逼迫し、人口は減少して老齢化が進み、旧きモノの中には消えてしまうモノもある。
もちろん時代の遷移に伴っての変化は必要だ。
けれど、やはり変わらずにそこにあって欲しいものや、姿形は変わっても本質的な部分では変わって欲しくない、変わるべきでないものも、また確かに存在するように思う・・・。
それでも・・・いくら頑張っても消えてしまうものはある・・・。
ファンタジーのように、魔法で簡単に街が復興できたら、地方が再生できたら便利だろう。
だけれどもそんなお手軽な魔法なんていうのは現実にはありえない。
もし、そんな魔法があるのだとしたら・・・。
それはそこに住み・集う人々の思いや活動の中から生じる「新しい力」なのかもしれない。
そしてその力を生み出すのは、人と人との沢山の繋がりなのかもしれない。
そんなことを感じさせてくれるラストシーンが用意してある舞台だった。
地方で住み地方に関わっていくということ、地方で演劇をやったり観たりするということ。
その中でどうすればいいのか、どうしたいのか・・・。
そんなことをボンヤリと考えずにはいられなくなる作品だったと思う。
観たのは、その劇場を本拠地とする劇団、「のこされ劇場≡」の『オズの魔法が使えない』
題名からも分かるように、映画やミュージカルにもなった名作『オズの魔法使い』をモチーフにした作品だった。
劇場に着くや否や、芝居が始まる場所として案内されたのはなんとすぐ近くの商店街のど真ん中!
通りを挟んだアーケードの下に3ヵ所の鑑賞スペースが設けられ、その前で芝居の登場人物達が自己紹介などを含んだパフォーマンスを繰り広げた。
3ヵ所が同時進行するので、役者達はA→B→Cとか、B→A→Cのようにそれぞれが場所を移動しつつ演技。
派手で可愛らしい着物を着た老女ドロシーとか、これまた派手な着物に身を包んでやたらとテンションの高い魔女とか、登場人物達は基本的に和服または和服をベースにした衣装だった。
時折、劇中劇?のように役者個人の愚痴のようなものを吐露したり、アドリブなのか計算なのか不明なバタバタした感じも相まって、滑稽でキュートで面白い構成だった。
鑑賞する場所によってはパフォーマンスの時系列や雰囲気が変化するので、別の場所でも観たくなった。
30分かそこらの商店街でのパフォーマンスが終わると、ようやく劇場へと戻って芝居の後半部分へ。
まだ来月に直方公演が控えているのでネタバレは避けるが、オリジナルとは似ても似つかないシュールというかブラックというか・・・な展開に、当初は観客もちょっと引いた感じがした。
しかし、段々とその背景には劇場のある北九州市、特に枝光地区が抱えてきた、抱えている問題やそこに住む人々の思い・・・などが浮かび上がってきて、目が離せなくなった。
もしこれから直方公演を観に行こうと思っている人や、或いは今後この作品が再演された場合に観る人は、一応の予備知識として「八幡製鐵所」「枝光」というキーワードでこの120年ほどの歴史を知っておいた方が、よりこの作品を楽しめることになると思う。
劇中で映し出される「1901」という数字は、地元の人ならばすぐに分かると思うが八幡製鐵所が「官営」として操業を開始した年号だ。
今、地方経済は逼迫し、人口は減少して老齢化が進み、旧きモノの中には消えてしまうモノもある。
もちろん時代の遷移に伴っての変化は必要だ。
けれど、やはり変わらずにそこにあって欲しいものや、姿形は変わっても本質的な部分では変わって欲しくない、変わるべきでないものも、また確かに存在するように思う・・・。
それでも・・・いくら頑張っても消えてしまうものはある・・・。
ファンタジーのように、魔法で簡単に街が復興できたら、地方が再生できたら便利だろう。
だけれどもそんなお手軽な魔法なんていうのは現実にはありえない。
もし、そんな魔法があるのだとしたら・・・。
それはそこに住み・集う人々の思いや活動の中から生じる「新しい力」なのかもしれない。
そしてその力を生み出すのは、人と人との沢山の繋がりなのかもしれない。
そんなことを感じさせてくれるラストシーンが用意してある舞台だった。
地方で住み地方に関わっていくということ、地方で演劇をやったり観たりするということ。
その中でどうすればいいのか、どうしたいのか・・・。
そんなことをボンヤリと考えずにはいられなくなる作品だったと思う。
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